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●2007年9月22日〜24日の旅●
正直に言っていいですか。 もう昔すぎて忘れかかっています! ごめん!! 今回のメンバーは、わしを含めて5人。わし、いつもの同行者、今回の主催者である岡山県のMくん達、福岡から呼びつけたKくん。 ともかく、スタートです。
シャウトするのがお約束。
児島駅前で待ち合わせ。なんでか知らんが、まだ岡山M連が到着するのに時間がかかりそうだ、というのでどっかで時間を潰すことに。電気屋があったので、そこへ。しばらくすると到着の報せが。「どこにいるの?」「電気屋」「やっぱり」と言われました。お見通しのようです。 昼ごはんを食べてから、まずは第一の目的地・高松城へと参ります。 この岡山M連、城が好きです。休みの度に、男二人連れだって、あっちの城こっちの城と飛び回っているようです。 ではここで予習。 ♪時は天正のその昔 天下制覇の信長が 中国毛利を討つために 羽柴秀吉将となす(以下6番まで続く) ※全然関係ないんだけど、この音頭の頭に、♪じゃなくて山みたいな記号を使いたくて。で、あの記号はなんて言うんだろうとさんざん調べてたらえらい時間を食ってしまった。答えは「庵点(いおりてん)」、またはそのまんま「歌記号」。ここで力を使い果たしたので今回の更新はここまで。
次回の更新まで、「戦略を練る知将ども」の絵でお楽しみください。
知将ってのは嘘だ。ごめん。
‥‥と、次回の更新まで〜って言っていながら今日は2008年8月11日。もうすぐ1年経っちゃうよ!
ともあれ、城の大好きなM連によって、ここの解説がなされました。んもうM本くんに至っては、水を得た魚の如く。由来書きの看板や、書き割り水攻図があったんだけど、そこの前で解説するのな。 しかしよくもまあ、そらでペラペラと解説が出来るもんよ。それに食い付いて相槌をうつ他のヤロウども。なんだよあんたら、意味わかるのかよ。 江口はまったく理解出来ないので、睡蓮畑に沿って設置されている遊歩道へ逃げてみました。 城跡はなんにもないけれど、資料館がありましたので覗きに行きます。入館自由。 元はどういった建物だったかは忘れたが、まあよくあるナマコ壁の倉です。 はい、では次に行きましょう。
高松城跡から走ること小一時間。次の目的地は国分寺だそうです。江口はスケジュールを聞かされていないので、連れて行かれるままでございます。 ふと気が付いたもの。 → 拡大 → 『日照山國分寺 善男 善女』 いや、それだけ。 五重塔の中までは見られませんが、外はかなり近付いて見られます。ので、いつものごとくじっくり見させて頂きます。何時の頃からか、装飾に何の彫刻がなされているかを気にするようになってました。たいていが、ぐるりと干支を彫ってある。もちろん、なんか意味があるんでしょうね。 遊歩道を先に進むと、古墳があるそうなので、せっかくなので見に行きましょう。 3分ほど歩いて、到着。 こうもり塚古墳、らしい。中までは見られませんでしたが。 図解板。 では本日のお宿へ移りましょうか。
いやあ迷いました。 で、やっぱり5人大部屋。 えーと、料金がね、大部屋宿泊費1人4200円(休日割増)で、夕食が3150円、朝食が1050円だ。こう考えると、トータル8千円。施設の充実度から考えると、まあ安い方ですね。でも利用したこの時から1年経った現在、宿泊費が一律5250円になってた。高ッ。 ホテルの設備としては不満はありません。若干、接客サービスの低さを感じましたが、値段相応ってとこでしょうか。 さてここでー。 我々は岡山M連に、こんな指示を出していました。 「『クイーンズブレイド』買ってこい」と。 クイーンズブレイドとは? その結果、それぞれが用意したキャラクターは。 わし‥‥メルファ/同行者M‥‥ナナエル/岡山M連‥‥ナナエルとノア ナナエルが被ってしまいましたー。 夜は更けていきます。
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